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姫路海軍航空隊復元図

【兵庫県加西市】
今から79年前。昭和18年10月に姫路海軍航空隊が鶉野に開隊しました。
 
鶉野飛行場は、全国にある飛行場の中でも「飛行機の 組立工場」と「飛行機の練習場」が平行してあるという意味で、特殊な位置づけにあります。
 
昭和18年に完成したと同時に、飛行場には多くの練習生 と20機の攻撃機 【九七式艦上攻撃機】が到着し、1人の教官に複数の練習生がついて訓練を続けました。
数カ月の飛行訓練の後、実践に赴くことになります。
昭和20年2月。鶉野飛行場で訓練をした若者たちの中から希望者を募り神風特別攻撃隊「白鷺隊」を結成。同4月から5月にかけ、沖縄戦支援のために鹿児島から5回の特攻出撃をし、21機の戦闘機とともに63名もの尊い命が沖縄の海に散りました。
 
この「姫路海軍航空隊再現図」は、当時の 練習生・周辺に住んでいた人々の証言や、その方々が残していた写真や資料などをもとに、昭和20年5月の飛行場と周辺を地図として再現したものです。
 

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飛行場について
昭和18年10月、兵庫県加西市(当時は加西郡)の南東部、鶉野台地にパイロットを養成するための「姫路海軍航空隊」が開隊されたことに始まります。
2つの川に囲まれたなだらから台地であるという地形的な特徴、法華口駅からの姫路や神戸へのアクセスの利便性、その他複数の条件が揃っていることから、飛行場の建設地として選ばれました。
また、来るべき本土決戦に備え、姫路基地の視察を目的として海軍大将の訪問が予定されていたともいわれ 、鶉野が重要な拠点であったことがうかがえます。
 
飛行機組立工場(川西航空機株式会社鶉野工場)について
姫路で作られた「紫電」「紫電改」の部品を、馬車などを使って鶉野に運び、最終組み立てを行う工場として建設されました。
工場では少年少女も多く働いており、増産体制に入った時には、物資がない中夜中まで組立作業を行っていたといいます。
 
 

主要なスポット

滑走路跡


長さ約1200メートル、幅約60メートルのコンクリート製滑走路。(現在残っているのは45メートル) 。
昭和18年3月に着工し、7カ月で完成させるという突貫工事で建設されました。
建設にあたっては、地元が近隣の郡から集められた勤労奉仕団・内務省から斡旋された朝鮮人徴用工など、4,000人をゆうに超える大勢の人が関わりました。
 

掩体壕(えんたいごう)跡


姫路海軍航空基地では本土決戦に備え、待機する飛行機を隠すため、飛行場周辺に土盛りの『無蓋掩体壕』が作られました。
飛行場の周辺には55ヶ所の掩体壕があり、五十数機の飛行機が隠されていました。
この掩体壕により、紫電改等が空襲で破壊されることなく残されたのです。
 
 

地図上ではこの位置で無蓋掩体壕とSNJ機体(塗装は旧日本海軍機の様式)を見ることができます。
 

対空機銃座跡


飛行場の防衛のために機銃を設置した施設の痕跡で、地下弾薬室も含め、完全な状態で残っています。
このような機銃座は全国的にも珍しく、貴重な戦争遺跡です。
 

soraかさい


戦闘機「紫電改」「九七式艦上攻撃機」の実物大模型が展示されているほか、「なぜ鶉野飛行場が作られたのか」という飛行場建設の経緯から建設中の様子、また「白鷺隊」などを映像・資料・実物などを交えて解説する施設です。
 
 

 

 

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