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田辺城城下町エリアシリーズ

【京都府舞鶴市】


田辺城城下町エリア① 江戸時代 田辺籠城図1

本図は熊本系の田辺籠城戦を描いた絵図です。永青文庫本をベースとしながら、城内の様子や攻城方に関する描写・記述がより詳細となっています。
また、最大の特徴は、7月22日から25日までの籠城戦の戦闘の様子が書き込まれていることです。注記の内容は、宮村出雲の「丹後田辺御籠城覚書」の記述とよく合致します。
城下町に目をやると「こんや町」「本町」「丹波町」など現代に続く町名が確認され、高野川河口には小舟が係留されています。

法量:124センチ×106センチ
年代:江戸時代
所蔵:舞鶴市

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田辺城城下町エリア② 江戸時代 田辺籠城図2

本図は、慶長5年(1600)の田辺籠城戦を描いた「天守台」を中心に堀と石垣・城壁によって画された田辺城の縄張りを確認することができます。
また城門・櫓・屋敷等といった城の構造物が描かれ、各所に配された籠城方と、竹垣を廻らし城を包囲する攻城方の陣所配置と旗印が詳細に記されています。
さらに城の西側には南北3筋・東西4筋の街路によって区画された城下町の方形の町割りが描かれ、「こん屋町」「丹波町」など現代に続く町名が確認できます。
このように本図は、籠城戦のみならず細川時代の田辺城の縄張り、城下町の様子を伝える貴重な史料といえます。

法量:120センチ×90センチ
年代:江戸時代
所蔵:大泉寺

 

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田辺城城下町エリア③ 1673年 田辺城図

牧野氏時代の田辺城と城内侍屋敷の屋敷割りが描かれた延宝・元禄時代の絵図です。
侍屋敷は屋敷地ごとに仕切られ、間数・坪数とそれぞれを配分された家臣の名前が記されています。
大手門の外、職人町通りにも町屋に交じり、藩士の屋敷地が点在しています。

法量:118センチ×112センチ
年代:延宝・元禄年代(1673~1704)
所蔵:舞鶴市(牧野家文書)

 

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田辺城城下町エリア④ 1692年 田辺城西側石垣修復伺図控

田辺城は、関ヶ原合戦後、細川氏に代わり入部した京極高知によって南側・東側に拡張され、本丸を中心に二の丸・三の丸・外郭を備えた輪郭式の城郭に整備されました。
しかし高知の跡を継いだ高広が宮津城に移ったため、田辺城は破却され、櫓・門・高塀は1か所もなく石垣も所々崩れるといった状況でありましたが、寛文8年(1668)に京極氏のあとをうけ藩主となった牧野親成により再築されました。
本図は牧野氏による再築後、元禄5年に破損した田辺城の石垣の修復を幕府に願い出た際の図面の写しである。
本図によれば、このとき外堀の北西側の石垣が長さ142間4尺、高さ2間にわたって孕み、またその上部の塀についても同じ長さにわたって破損していました。

法量:104センチ×83.5センチ
年代:元禄5年(1692)
所蔵:舞鶴市

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田辺城城下町エリア⑤ 1727年 丹後国田辺之図

田辺の城下町は、田辺城を築城した細川氏によって建設され、その後、京極・牧野氏の時代に拡張・整備されました。地子を免除された本町10町と地子負担の地子町6町の合計16町で構成され、これに下級藩士の居住する組町・手代町の2町が加わりました。城下町は高野川によって東西に二分され、高野川右岸の各町を橋東、同左岸を橋西と呼び、町のなかほどに架かる大橋が領内交通の起点となりました。

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田辺城城下町エリア⑥ 1809年 竹屋町・寺内町裏川筋絵図面

竹山地とその対岸寺内町の江戸時代後期の様子を描いた絵図です。
竹や町は廻船業に携わる船問屋が多く住み、城下経済の中心として栄えました。
本図はその竹山地の反映を示すように、高野川沿いに多くの「蔵」が建ち並び、その間に「サシオロシ」(船荷の揚げ降ろし場)と「舟細工所」が点在しました。また、加工には多数の「舟小屋」がならび、突端には船行する船を見張る「御番所」が位置するなど、港町の景観がよく表されています。

法量:155センチ×82センチ
年代:文化6年(1809)
所蔵:舞鶴市
 

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田辺城城下町エリア⑦ 1872年 丹後国加佐郡舞鶴竹屋町地曳絵図

竹山地とその対岸寺内町の江戸時代後期の様子を描いた絵図です。
竹や町は廻船業に携わる船問屋が多く住み、城下経済の中心として栄えました。
本図はその竹山地の反映を示すように、高野川沿いに多くの「蔵」が建ち並び、その間に「サシオロシ」(船荷の揚げ降ろし場)と「舟細工所」が点在しました。また、加工には多数の「舟小屋」がならび、突端には船行する船を見張る「御番所」が位置するなど、港町の景観がよく表されています。

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田辺城城下町エリア⑧ 1899年 丹後国田辺舞鶴城御殿図

田辺城の二の丸御殿を描いた絵図です。
二の丸御殿は、大書院・御広間・中奥の間・御部屋・台所などからなり、藩主が儀式・執務を行う公的な場として、また日々の生活を送る私的な場として、城内でも特に重要な施設でありました。右下に築山・池をともなった庭園が描かれるが、これは現在の心種園にあたります。

法量:241センチ×168センチ
年代:明治32年(1899)謄写
所蔵:舞鶴市

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