【三重県亀山市関町】
■東海道関宿
関は古代から交通の要衝であり、古代三関のひとつ「鈴鹿関」が置かれていたところです。関の名もこの鈴鹿関に由来しています。
江戸時代には、東海道53次の江戸から数えて47番目の宿場町として、参勤交代や伊勢参りの人々などでにぎわいました。
現在、旧東海道の宿場町のほとんどが旧態をとどめない中にあって、唯一歴史的な町並みが残ることから、昭和59年、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
関宿の範囲は、東西追分の間約1.8キロメートル、25へクタールに及び、江戸時代から明治時代にかけて建てられた古い町家200軒あまりが残っています。
関宿では、これら歴史的建造物の保存・修復につとめながら、新しいまちづくりに取り組んでいます。
■鈴鹿関跡
鈴鹿関が初めて歴史に登場するのは、天智天皇の死後、大友皇子と大海人皇子(後の天武天皇)が皇位を争った壬申の乱(672年)の際、大海人皇子が鈴鹿・不破の関を固めた事によります。
延暦8年(789年)、桓武天皇によって三関は廃止されますが、その後は天皇の崩御や政変などが起こるたびに儀式としての固関が行なわれました。
鈴鹿関跡の詳細な位置や規模などははっきりとわかっていませんが、近年の調査により、聖武天皇によって整備されたと見られる西限の城壁が確認されています。
■見学される皆様へのお願い
関宿は、私たちの貴重な文化財であるばかりでなく、「生活の場」でもあります。 見学にあたっては、特に下記の点にご協力下さい。
・市が公開している資料館などを除き、むやみに家の中をのぞかないでください。
・狭い道ですので、歩行中の安全には各自十分お気をつけください。
・くわえ煙草、吸い殻の投げ捨てなど、火気には十分お気をつけください。
・ゴミは各自お持ち帰りください。